次なる事業を探すためにエントリー。
しかし、学んだのは、既存の事業を育て上げることでした。
生まれ育った町を元気にしたいと
NPO法人を設立するも、最大の課題は経営だった。
関市出身の私は地元が大好きで、小さい頃から居心地の良さを感じながら育ってきました。大学進学で関市を離れても、地元愛は深まるばかり。ところが、長期休みに実家に帰る度に、かつて馴染みのあった店はシャッターが降りたままとなり、大通りには大手チェーン店が増えていく…。関市に住む大人たちは変わりゆく地域に「仕方ないよね」「こんな街にいてもダメだよ」と諦めムード…。そんな関市の様子を見て、「自分に何かできることはないか」と思い始めるようになりました。
大学では学部の枠を越え、まちゼミやNPO法人のインターンシップに参加してまちづくりについて学び、行政だけでなく民間でも町づくりに直接的に関われることを知った私は、卒業後、中間支援事業を行うNPO法人に勤めながら、27歳でNPO法人を設立。しかし、1年目の給料は6〜7万円で、アルバイトをしながらの生活でした。事業を軌道に乗せるためには経営の勉強をして、次の手を考えなければ…と思い、「東海若手起業塾」にエントリーしました。
考えるだけでなく、ちゃんと行動する。
それが後々の事業展開に大きく繋がった。
入塾した当時、「ぶうめらん」という関市のフリーマガジンの発行が主な事業で、収入は広告費と協賛企業からの会費のみ。それだけでは事業が継続できないと考えていた私は、起業塾で次の事業の柱を探したいと思い、「刃物などの地域産業支援」を事業化できないかと提案しました。ところがメンターから「それは、社会に対して良いことなの?良さそうなことなの?」と強く問われ、関市が本当に活性化するためには何をすべきか、どこを目指すべきか、ゴールとなるビジョンがぼやけていたことを思い知らされました。次の事業を考える前に、まずやるべきことは今の事業をしっかり育てること、とアドバイスされ、フリーマガジンをどう展開すれば、望む成果や目標に近づけるのかを改めて考えることに。この時、経営者としての動き方を教えてもらったことはとても大きいですね。「人や社会を巻き込みなさい」と指導され、同じような事業をしている他エリアの人や団体に話を聞きに行ったり、行政に要望書や提言書を持ち込んだりして、積極的に繋がることができました。おかげで、起業2年目にはフリーマガジン協賛会員が100社を越え、収入が安定。さらに3年目には行政から中間支援事業を受託するに至り、フリーマガジン以外の事業の柱ができて、スタッフを雇用できるほどになりました。
プレゼンのたびに、厳しく意見され、
ビジョンがより深く掘り下げられた。
起業塾では、プレゼンをするたびに、自分の考えが及んでいなかった方向からさまざまな質問が飛び交い、厳しく突っ込まれました。第2の事業の柱として、関市の刃物を売ろうと考えていた時も、「モノを売るよりも、関市で刃物がどう使われているかという風土を育て、そこからモノが売れるような仕組みを考えた方がいい」と言われたことは非常に大きな学びとなりました。そのアドバイスで、地元の人たちに向けた郷土教育をしていくことが私の使命のひとつであるという考えが芽生え、フリーマガジンで関市の魅力を発信するだけでなく、2年前から「高校生ぶうめらん」を発行。高校生が自ら取材・制作に関わることで、大学進学や就職などで関市を出て行く前に、関市の魅力を知ってもらいたいと考えています。また今年、創刊10年目を機に、フリーマガジンをリニューアルして、小中学校にも配布してもらえるように働きかけています。
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大きなターニングポイントになると明言できます!
「東海若手起業塾」にエントリーする人は何らかの課題を抱えていると思います。私は経営の知識もノウハウも何も知らずに手を挙げましたが、それを学ぶ以前に、やりたいことはそれでいいのかと何度も突き詰めて考えたことで「誰のための、何のための事業なのか」を明確にすることができました。会社の成長によって事業は変化することがありますが、起業塾で突き詰めた理念は変わりません。入塾した後は、今と同じ場所にいることは絶対にないと自信を持って言えるほど、人生の大きなターニングポイントになるはずです。「変化したい人」「何かを掴みたい人」に強くオススメします。