SPECIAL INTERVIEW

OB・OGのスペシャルインタビュー

Voice

首藤 政俊さん

一般社団法人Will

第7期生

活動地域:愛知県豊田市

何度もダメ出しをされ、 ビジネスに繋がる 本当の強みに気付いた。

脱サラからの起業。障害者の所得向上のために動き出した。

大学卒業後、自動車部品を扱う商社に勤めました。 仕事に不満はありませんでしたが、次第に「誰のためにやっているのか」を自問自答するようになり、やり甲斐を見つけられずに退社しました。そんな時、父親の友人で障がい者就労施設「名古屋ライトハウス」を経営する知人から、「仕事を辞めたのなら、福祉とのコラボレーションを考えてみないか」と声をかけられ、初めて障がい者就労施設を見学しました。

そこで知った障がい者の賃金の低さに驚き、「この人たちの給与を上げるために、私にできることはないか」と起業を決意。 同じ頃、東海若手起業塾のOBがテレビ番組で特集されていたのを観て、さらに知り合いにもOBがいたことから、「ここなら自分の夢を叶えられるかもしれない」と期待が高まり、エントリーに迷いはありませんでした。

厳しい指摘を受け、何度もプランを練る私。
支えてくれたのはコーディネーター、
プロボノだった。

当初のビジネスプランは、障がい者と企業のビジネスマッチングでした。 しかし、プレゼン時に「コストを減らしたいと考える企業と、工賃を上げたいと考える労働者のギャップは永遠の課題だ」と指摘されてしまいました。実際に障がい者の工賃は内職1個あたり10銭~1円程度。 月に20万個を受注し、10人で作業したとして、月2万円程度しか得ることができないのです。これでは、どんなにがんばって仕事を繋いでも給与アップには繋がらないと思い、自主製品の製造・販売へと舵を切ることにしました。 そこで、「名古屋ライトハウス」で製造している非常食用の缶入りパンをオリジナル製品にしようと提案。地元の素材を使った話題性のある商品を誕生させようと、カクキューのみそパウダーを配合した「みそパン」を開発。それをメンターに試食してもらったところ、「何これ!?」「まずい!」とバッサリと言われてしまったのです。 試しに、刈谷ハイウェイオアシスで販売してみましたが、売上が伸びず、商品化を断念。プランが思い通りに進まない中、心の支えになったのは、一緒にビジネスを考えてくれたサポーター(コーディネーター、プロボノ)でした。強烈なダメ出しを受け、今度は何とか認めてもらおうと必死にプランを練り直す私に寄り添い、自分事のように共に悩み、共に考え、合宿中は深夜まで資料づくりをしてくれました。 メンターからの厳しい指摘を受けて、誰のためのビジネスかわからなくなった時期もありましたが、コーディネーター、プロボノのおかげで乗り切ることができ、今でも親交が続いています。

本当の強みを知れば、
次にどう動くべきかが明確になる

ビジネスが動き出す大きな転機になったのは、最後の報告会でした。 自主製品を生み出そうと励んでいた私に、メンターは「あなたは人を繋ぐことが仕事じゃないの」と言われたのです。 人との繋がりを大切にする姿勢やフットワークの軽さが高く評価され、本当に嬉しかったです。卒塾後、その言葉は大きな支えに。とにかく積極的に動いて新しい販路を拓こうと、JA愛知豊田さまに「地元の小麦を使って缶入りパンを作りませんか」と持ちかけました。 「名古屋ライトハウス」で製造する缶入りパンは576缶という超小ロットで製造が可能です。それを強みに、「万が一、売れなくても痛手が少ない」と説明。すると、商品化が決定し、46,000缶を受注。それを機に全国のJAをリストアップして、メールや電話でコンタクトをとり、直接会いに行くなど動きまくりしたね。その甲斐あって、JA岐阜やJA熊本などで商品化が決まりました。 自分の強みに気づかせてもらい、ビジネスの繋ぎ方を学んだことが今も生きています。

Message

行動しないと、 何も変わらない。

一歩でも行動することが大切です。説明会に参加したり、エントリーシートを記入したりするだけでも非常にいい経験になると思います。経営者は孤独になることもありますが、今でも起業塾で出逢ったサポーターや同期の仲間と会うと「みんな、がんばっているな」「負けられないな」と活力になります。 またメンターは第一線で活躍している方ばかり。そのような方々から学び、広げられるの貴重なことだと思います。

首藤 政俊さんのプロフィール